被災後を想定してキャンプをしたり、ZENKONN湯を実際に
組み立てたり入ったり、いろんなことを参加者と共有したあとの
最後の島内会議のみ参加した。
打合せと打合せの間にいったので途中参加最後も残念ながら途中
退席でどのようなメンバーだったのかわからないのですが・・・
順不同にそこで聞いた話を・・・
・海際の新しい幹線道路、すぐにはできない
→今ある道路の橋などを簡単には落ちないように補強、前後の道も
段差ができないように補強
・300ガルでモノは浮く
・製材のストックをすすめるには規格材を減らす。こまかく分けない。
・市長が亡くなったある市では復旧が大きく遅れた。合併話にのらなかった
市で、放置同然の状況になった。
→我々市民と同様に、行政も被災する。自助組織を構築すること。
・避難所で、名札をつけておく。何ができるかを書いておく。こどもの
面倒見られます、歌が歌えます、私看護士です、設計士です・・・
→自分のキャラクターをもって逃げる!!
→多様な人がいることで、みんなでやっていける。
・かろうじて持ってでた食料、一つに集めて再分配?
→ルールが必要。
・ご自由にどうぞと書けば、日本人なら気を使って必要分しかとらない
かも知れないが、take freeと書いてしまうと、外国人の方はいくらでも
持っていってしまうかもしれない?
・難しい単語は使わず、単純な英語を連呼するほうがよい。
・ハザードマップは多言語化するべき。
・ZENKON湯は組み立て分解が容易。ストックしておきたい。
→電気は不可欠。電動工具がないと時間がかかる。
・高知の木造仮設住宅は、19ミリのラチェットと木槌だけで組める。
・キャンプに、妊婦の方の参加があった。現実の避難所生活は大変。
経験しておくことはとても大事との乾燥。
・地デジ移行であいたバンドを被災時の連絡用に使えないか。東南海
南海が同時に発生したら、四国は離島になる。四国内で助け合い、
生きていかなければならない。
・メールは使えた。IP電話もOKだった。
・国、自治体は、我々のような一般の団体には情報をくれない。
消防団と連携しておきたい。
・被災直後の医療チーム、医師二名+看護士二名+事務方一名。
全国からたくさんのチームが来て東日本でも活動した。
海岸ぶちは道路寸断する。ヘリでの搬送のシミュレーションを。
・自衛隊は球状活動はしても通信の支援はしない。できること
できないこと、することしないことがある。
・単車部隊、走破性の高いマシンは、ナンバーがついてない。
非常時に、認められるのか?
・町々のデータ作りを。顔、声を知っておいて、被災時に
「あの人」を頼りに駆けつける。連絡をとる。情報を集める!
→島内会議で、四国中がつながっておく。
・廃校で何ができるかの試行。個人と町内会の間くらいの規模で
2〜30戸のグループで防災備品を持っておく。ご近所さんレベル。
一か月分の食料など。自助と共助の間。
・他、2キログリッドでの防災マップ作り、被災時に役に立つ人
たちの分布、CB塀がどこにあるかの危険道路プロット図、など
徳島での取り組み、話も報告しました。
四国島内会議、会を重ねていきましょう!
(トクシマ 内野輝明)
【関連する記事】
バイクに関してですが、最近は「走破性の高いバイクはナンバーが付かない」ってことは無いです。
ガレキや崩壊した山などを想定すると、国産のモトクッロサーよりもえヨーロッパのエンデューロレーサーの方がはるかに走破性が高く、また国産でもセロー225は上記二種のバイクより使い勝手も良いし、スピードこそ遅いですが走破性も引けをとりません。
また、トライアルマシンに関しても、最近はほとんどが外車のため登録は可能ですので、私の知り合いは登録しています。
どっちにしても、想定される使われ方だと「セロー225」が一番・・・・だろうと思います・(あくまでも225です)
以上、オッサンの独断と偏見を混じえた「つべくそ」でした。
PS:どんなバイクを使おうと乗り手の性能が全てだろうと思います。