特別研究委員会の皆さんが徳島入りされて、
勉強会と視察が開催されました。
まず初日@徳島大学常三島キャンパスの
一室で勉強会。
一番手は美波町由岐支所地域振興室室長
小坂さん。
合併前の、日和佐町+由岐町時代からの
防災への取組みの歴史を概説して下さった。
しかし小坂さん、パワポ技術高い!
スライドショーで流しっぱなしで、自分は
パワポとは無関係な感じでしゃべり続ける。
視聴者は、展開するPPTを目で追いながら
(読むスピードでちゃんと文章が現れる)
小坂さんの話も聞く。ものすごい情報量。
すごいなあ。芸の粋、エンタテインメント。
続いて、木造建築研究会の事前復興WGと
実務WG合同で木活協支援をうけてまとめた
「こうのすまい」−傾斜地に集住する。−
を発表させていただいた。
これは来週、成果報告会@東京で発表の予定。
徳島でも建築士会のなんらかの行事に合わせて
発表させていただいて、実施へ向けて皆さんの
ご意見をいただきたいと思います。
さて最後は北海道大学の森傑先生。
日本建築学会計画系災害研究ストラテジー特別
研究委員会の代表をされています。
東日本大震災発災後、様々な場所で、いろいろ
な研究者が復興、防災他とり組んできています。
学会論文や報告を中心に、誰がどこでどんな事
をしてきたか、整理するのがこの委員会の目的
だそうです。
つまりまだそういうふうに、大震災以降の動きを
俯瞰できるシステムはないわけです。
時系列、項目別、地域別?もしくはキーワード
で容易に検索できるように整理する。これは、
大変ですが、それ以降の研究にとても役立つと
容易にイメージできますね。
行政、研究者、または設計者、あらゆる分野の人
と、震災以降の思考の集積との間に立ちあがる
インターフェイスというか・・・。
森先生の研究室の野村さんが阿南高専の池添
先生と大学時代に一緒に学ばれていた縁で
今回の徳島行となったそうです。やはり人と
人のつながりからですね。うれしいことです!
森先生の話他、勉強会のメモはこちらです。
高地移転、先行高地移転のお話を中心に・・。

懇親会の様子
向こう側が今回来徳された研究会のメンバーです。
左端から、北海道大学の森先生、野村さん、神戸
大学の栗山さん、早稲田大学の畠山さん・・・
みなさん若い!!30代ですほとんど。
お話から山崎亮さんを連想したので尋ねてみると、
「わたしはあくまでハード側からのアプローチです」
とのこと。
小泉地区の移転先計画は、見覚えが・・・
ラドバーンシステム、懐かしのクルドサック!
面積が一律になるのは防集だから仕方ないと・・。
街がいっぺんにできることの不健全さの印象はやはり
ぬぐえない。どのように克服して行くのか、その後の
ことも継続してお聞きしたい。直接参考にはなりは
しないとしても。
結論ありきではない。研究者が主導する、ということ
でもない。話し合う中から浮かび上がってくることを
よりどころに、変容していく、というようなつかみ
どころのなさが、逆にとてもリアルに感じられた。
で、翌日は美波町視察ツアー。
避難用に拓かれて斜路には手スリロープのついた

高台。

JR高架をくぐる。このJR線に土手の役割を
期待。

「こうのすまい」予定地
いっとき筍栽培していたらしいです。もとは
石垣積みのだんだん畑。いわゆる開墾畑です。

あぶの、防災地図前で。

地元の人の自力手作りマップ。
だれそれさんとこの前、とか、裏庭、とか、地元
の人がわかる表現で避難ルートが書いてある。
どこの家に、高齢の方が、この家には、自分で
避難できない人が、と、色分けして示してある。
美波町をツアーすると、意識の高低、それによる
成果の大小、被災後の姿・・・がイメージできて
ひるがえってうちはどう?と、意識がめぐります。
引き続き自分の専門分野で出来ることやろう、
と、思いましたあらためて。
森先生はじめ委員会のみなさん、徳島大学の田口先生、
建築士会有志のみなさん、ありがとうございました!!
そうそうお昼は・・・

嶋さんといっしょに@大菩薩峠
去年東北のみんなとお邪魔したこと、覚えてくれて
ました。tomiyan、ご紹介ありがとうございました!
みんな興味津々でした嶋さんの創作活動に。

そのひとつ・・・
女性陣は嶋さんに、ベルトのバックルのおみやげ
もらったりして(笑
(トクシマ 内野輝明)
【関連する記事】